む だ い

おたくの人の雑談 テニミュとか、ひでやくんとか、嵐とか

ゆるゆる戦隊現場まとめ

まさか私の人生が、こともあろうか戦隊と交わろうとは!

 

ご存知の方も多いとは思いますが、わたしは多和田秀弥くんのファンです。

もともと嵐のおたくをしていた私が(というかそもそも嵐に落ちたことすら私の人生では想定外だったのに、)テニミュにはまってひでやくんに落ちて、そしてとうとう戦隊を追いかけることになるなんて、人生わからないものです。そもそもこんなふうにおたく的金銭感覚になってしまったのも全部嵐!嵐のせい!というのは、また別の機会にでもまとめるとして。

 

今回は、ひとりぐらしでお金もかつかつ(という理由をつけてたような気もするけど)の中、「え、これが我が推し?」「いやいやそんなわけww」とTLを騒がせた衝撃の早バレ写真から、ファイナルライブツアーが終わるまでの約一年間にゆるりゆるりと足を運んだ戦隊の現場や感想なんかを、多和田くんの次の舞台が始まる前のこのタイミングで備忘録的にまとめておこうと思います。

 

7月18日、25日 テレ朝夏祭り

→いきなり夏。その前にイベントもあった気がするけど、スターニンジャーとしてこどもたちの前に立つひでやくんを見るのはこの日がはじめてでした。家族連れが多い中でひとり女が混ざっているのがつらい…と思っていたけど、いまやそんなこともなくなったのは成長(?)。いつものきらきらの笑顔で、こどもたちの「すたーにんじゃー!」という声に目をまんまるくして手を振るひでやくんが本当にまぶしくて、嬉しそうで、「ああこの人を追いかけていきたい」と心から思いました。

ちなみにこのイベントのサマパス制度はニンニンジャーから導入されたそうですが、2000円という高くも安くもない値段設定が絶妙だなと。すこしですがその他のイベントや店舗での特典もあったしね!テレビ朝日の戦隊グッズ特設コーナーにはスイングなどのカプセルトイが豊富で、ここで散財した人も多そう。お面が手に入ったのが個人的にうれしかったですね。

 

最近、というかニンニンもそろそろ終幕というころからよくこの夏祭りのことを思い出します。たぶん、キンジさんと初めてあったことが、私の中ですごく印象深いからなのだと思っています。

 

8月9日 夏映画舞台挨拶(大泉G-9/渋谷F-10/丸の内O-24,E-12)

→大泉の映画館が駅から遠く、方向音痴を極めている私は非常にまよってぎりぎりに到着したのを覚えています。せまめの会場でキャストの顔がよく見えたし、登場が客降りだったのはここだったかな?私夏仕様のキンちゃんがすごく好きで、夏はイベントがたくさんあったのでとてもハッピーでした。眼福眼福。

どのイベントでもそうですが、どこにいても「キンちゃ〜〜ん!」と手を振ると「見えてるよ!」という顔でにっこり大きく頷いてくれるのがたまらなく好きです。私に、と思い込んでるだけなのかもしれないですが、ジャニオタで培われた「他人のファンサは自分のファンサ」が根付いているのでOKです。みんな幸せ!

 

12月5日(A-17)、20日(C-17) Gロッソ4期

→私、4期2回しか見に行ってないんですね…そうとは思えないほどの充実感だったんですが。はじめてのGロッソにわくわくしっぱなしで、しかもしょっぱなから最前で入ることができたので終始手が震えて。いままでTDCには何回も通ってきたし、ほかの劇場もまあまあ行きますがGロの最前とステージの近さは半端ではないです。これから追いかけるみなさま、ご覚悟ください。

Gロッソのスーアクさんはテレビ版のアクターさんの次にレベルが高いと聞いたことがあります。ひでやくんのひさびさの舞台を見られたことにも感激しましたが、それと同じくらいにアクションの素晴らしさに圧倒されました。アオニンの空中でスピンするやつ、かっこよすぎ〜!

また、Gロッソ入り口のところでフェイスペイントをしてくれるスペースがあって、ちびっこが並ぶのにまじって手にやってもらったのもいい思い出。こういうの大好きなので、最高にぶちあがりました。ペイントしてくれたおねえさんがテニミュわかる人(碕くん推し)だったらしく、ひでやくんのことをとても褒めてくれたのも嬉しかったですね…!毎年やってるもので、こういうの好きならやってもらうべきです!

 

1月20日 超英雄祭(Aブロック8列3番)

→行こうか迷っていた英雄祭ですが、行ってよかった…!ネルフェスでひでやくんが武道館にたったときにはまだ「推し」ではなかったので、ちゃんと意識して見る「推しが立つ武道館」は感慨深いものがありました。特オタではないのですべての曲がわかるわけではなかったのが申し訳なかったところですが、「あれ、なんか懐かしい…!」って曲があったり(デカ、アバレン)、トッキュウはちゃんと見ていたのでそこからの流れは最高にテンションがあがりました。いせだ〜〜い!大西さ〜〜ん!お席もとってもみやすい席で参加させていただけて、大満足でした。自分の推し戦隊がでてくれると思ったら、行ってみていいと思います。

ちなみにですが、私が一番覚えているのはガオレンジャー。ひでやくんも思い出の戦隊として名前を挙げてくれるのがとっても嬉しくて、親近感だったり。弟がいるので家には一通り変身ロボがそろっていたし、クオリティが高くて私もたくさん変形してた記憶があります。

 

2月14日(A-17)、3月6日(H-37) Gロッソ5期

→6人の舞台力が増したことがひしひしと伝わる舞台でした。さすが、1日6公演で何十公演としているだけあります。また、ひでやくんをはじめガワにも声をあてていたのも成長を感じてぐっとくるものがありました。多くの子供が見にくる劇場だからか、最前からしっかり傾斜があってみやすい会場でとっても好きですGロッソ!少しでも視界不良になると集中できなくなっちゃうタイプの人間なのでそこもありがたかったです。

千秋楽の挨拶では、感極まって泣くひでやくんを見て心がぎゅっとなりました。

スターバーガーで写真をとってくれたことは忘れないです!!

 

3月19日 FLT静岡(1-5-18,1-5-41,1-6-29)

→はじめての静岡遠征で、どきどきわくわくでした。最初からこの静岡と大阪しか入らないと決めていたので、個人的にとても熱量を置いていた公演。ショーもトークも、これぞニンニン!という感じですごく可愛くてかっこよくて、さいこうofさいこう!マタネコ?がかわいかったです。あと、テレビ版OPからはじまるのもテンションが上がる感じでいいですね!静岡は席もとってもよかったので、いい位置でひでやくんにうちわ振れたのもしあわせでした!ちゃんと文字読んでくれるひでやくん!

ちなみに最近よく思い出すセリフは凪ちゃんの「権利関係大丈夫なの?」です!笑

静岡といえば思い出すのは、会場の近くになんっっっっっにもなかったこと。圧倒的孤立。おなかすかせながらの3公演だったのでくたくたでしたが、たくさんのたわクラさんや、がくクラさんと楽しくお話しさせてもらいながら待ち時間をすごせたのが本編と同じくらい楽しくっていい思い出です。

 

4月24日 FLT大阪(2-10-56,1-9-19)

→終焉の地・大阪。私は2公演目からだったので、1公演目を終えたお友達さんと公園でお会いして、わいわいするのがこれまた本当に楽しくて。本当にひでやくんを通してたくさんの素敵な方にお会いできていると思います。前楽に入った段階で、こどもたちの声援にすこしうるっときていたのでこれはやばい…と思っていましたが、もちろんだめでした。どんなときのひでやくんの挨拶をきいても感じることですが、この人を応援してよかった、これからもずっとこの人の味方でいたいと心の底から思います。

ニンニンの6人といせにい洋にいがくっついてきらきら笑って泣いてぎゅっと固まりながらバイバイ!って幕が降りるまでずっと手を振っていたあの光景が、ずっと頭の中にあります。ドリライ2014の楽日もそうだったんですが、私は幕が降りる瞬間が一番涙腺にくるんですよね。「この時間はおわり、もう会えないよ」って言われているようで、このときも終わった瞬間に涙が滝のようにでてきました。でも、それと同じくらいに楽しかった、ありがとうという気持ちでいっぱいだったんです。お友達と別れてひとりになったらエモツイートを連投しまくりましたが、未来に希望しかないから、すっきりした気持ちです。

 

 

こうしてまとめてみると、ああこれだけしかみられなかったという後悔が募ってきたり。特に戦隊は後半戦の現場数が異常に多いので、なおさらそう感じたりします。私もおたくとしてまだまだですね、精進します。

そんなわけで戦隊を追いかけた一年は一応終わりを迎えました。

それまでジャニ現場とテニミュしか行ったことがなかったので戦隊の現場は新鮮で、慣れないこともたくさんありましたが本当に楽しくて嬉しかったことばかりです。やっぱり、ヒーローとしてこどもたちのきらきらの笑顔と声援を一身に浴びるひでやくんをみることができたのは、幸せとしか言えません。

 宝物みたいな一年間を、ありがとう!

 

 

戦隊は、また、10年後。

いや、1年後にVSで、ですね。

 

テニミュに関するレポートを提出してみた。

私はいま大学生なのですが、いつか期末レポートでテニミュを題材にして書くのが夢でした。

それが叶ったのが、去年の後期。現代日本のエンタメやアイドル、初音ミクなどのポップカルチャーがメディアを通してどのように繁栄してきたか、というのがその授業の要旨です。

 

一応このレポートを提出したらよい評価をいただくことができたし、せっかくなのでネットの海に垂れ流してみようかなと思います。論文というほどえらいことは全く入ってないので、ぜひ薄目で読んでいただければ。

 

以下レポートより

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タイトル:「未熟さ」の系譜として見る「ミュージカル『テニスの王子様』」

 

⒈はじめに

 戦後日本のポップカルチャーを創り出してきたのは「幼いもの、未熟なもの」であるというのが本講義の主張であった。そこで真っ先に思いついたものが「ミュージカル『テニスの王子様』」である。これは漫画作品を舞台化・ミュージカル化した「2.5次元ミュージカル」と呼ばれるものであり、最近はその数も増え、海外でのライブビューイングや公演を設けるなど、今では日本のポップカルチャーの一つになりつつあると言える。

 本レポートでは、「ミュージカル『テニスの王子様』」において「未熟さ」という考えを応用しながら、なぜ現代日本においてこのミュージカル作品が長い間人気を博しているのかを成長、学校、身体性の三つの観点で考察していく。

 

2.「ミュージカル『テニスの王子様』」という作品

 まずは、この作品について簡単に説明しよう。『テニスの王子様』は1999年から週刊少年ジャンプで連載されていたテニス漫画であり、本ミュージカルは単行本をもとに男子中学生がテニスの試合を通して成長していく過程を歌、ダンス、そして様々な演出を用いて舞台化した「ミュージカル『テニスの王子様』」(以下テニミュ)と呼ばれる作品である。2.5次元ミュージカルは多数存在すると先述したが、その中でも異質の存在感を放つのが「テニミュ」である。まず一つ目の特徴が長い公演である。2003年の初演を皮切りにキャストを交代しながら同じ物語を繰り返し上演し続け、現在は3周目を行っており実に13年という超ロングランの公演である。二つ目は、女性を一切登場させないことだ。もちろん原作の中では女性キャラクターも登場し、声のみの出演はありえるが女性を舞台の上に登場させることは決してない。そして三つ目は、以下に記述する特殊なキャスティングである。

 

3.成長する「未熟」なキャストたち

 テニミュに特徴的なのは、そのキャスティング方法である。なぜ「未熟なもの」としてテニミュを取り上げたのか。実は未熟なのはテニミュというシステム自体ではなく、舞台上に登場するキャストたちである。キャラクターのキャスティングは一貫してその多くが舞台経験さらには演技経験そのものがなく、世間に顔が知れていないような新人であり、そのほとんどが20歳前後の若者だ。この方法について、プロデューサーの片岡義朗氏は「匿名性」と説明している[i]。例えばある有名俳優Aが手塚というキャラクターを演じるとすると、観客はどうしても「Aさんが演じる手塚」を観に来ることになり、それではキャラクターだけを観に来ることができなくなってしまう。これを避けるために余計な情報なしに純粋に「なりきれる」新人を探すというのだ。

 では、「未熟」なキャストたちで構成されたテニミュという舞台は、いわゆるイケメンと呼ばれる若者たちが集っただけの学芸会のようなミュージカルなのであろうか。もちろん舞台経験のほとんどない役者ばかりであるから、いくつもの舞台を経験した俳優たちよりも演技、ダンス、歌等々、未熟なのは否定できない。それでも観客たちが劇場に足繁く通うのはなぜか。観客たちが彼らに、テニミュに求めているのはそのような技術ではない。「未熟」ながらもキャラクターになりきり、長くハードな公演期間を乗り切るためにチームメイトと協力しながらがむしゃらに努力し、そのときできる100%の力で舞台に立つ彼らの熱量なのである。テニミュの制作会社・ネルケプランニングの取締役社長であり演劇プロデューサーの松田はインタビューの中で「未熟であるがゆえに熱で見せるしかない。(中略)そうすると、自ずとお客さんの気持ちにシンパシーが湧いてくるんですよ。『この子はどう成長していくんだろう?』といった、親の気持ち、母性が生まれる。」と語っている[ii]。これはまさしく、人々が箱根駅伝や甲子園に熱中することや、講義内で紹介されたザ・ピーナッツのように育っていくアイドルを見守る心情と大きく重なる。決して上手ではないけれど一生懸命なところを応援し、そうすることで彼らを育てていきたいという気持ちは観客の中では表面的ではないかもしれないけれども、結果として「未熟さ」の尊びにつながっている。

 また、テニミュ俳優にはジュノンスーパーボーイコンテストの出身者が多い。こうした賞に選出された何者でもなかった青年たちがキャストとして舞台に立つことで磨き上げられ、次第に俳優として成長していく姿は、正田美智子氏の「シンデレラ・ストーリー[iii]」の現代・男性版とも言える。

 

4.「学校」としてのテニミュ

テニスの王子様』という作品の中には学校という単位が存在するが、これはミュージカル版でも無論登場する。宝塚音楽学校や甲子園同様、この学校というイメージも未熟さのイメージに関連付けられるだろう。もちろん集まったキャストたちが同じ学校に入学したというわけではないが、彼らの行動は部長や副部長、それぞれの学年やライバル関係といったキャラクターのポジションと次第にリンクしてくる。例えば彼らは学校という単位の上で合宿やミーティングを積み重ねチーム意識を高めていくが、そのとき中心となるのは部長のキャストであり、千秋楽で学校ごとに挨拶をするのも部長である。その中で自然に「自分は部長である」という自覚が年齢や経験関係なしに芽生えてくるのだ。また、キャラクターとしてではなく演技や舞台経験のあるキャストが後輩のキャストにアドバイスを行うほか、苦手な部分を自主練習するような風景もよく見かける。その様子はさながら本物の学校であるかのようだ。そして、最終的に各々の学校が練習を積み重ねてきたものが舞台の上で表現される。テニミュにおいてはシナリオが決まっているため何度上演しても勝敗は変わらないが、それでもお互いの無垢な努力がぶつかり合い、戦いに生のドラマが生まれる過程は甲子園を彷彿とさせる。

 

5.テニミュの身体性

 テニミュは、名前のとおりミュージカルである。キャストたちは舞台上で踊り、歌い、テニスをする。これは身体表現そのものであり、単純に私たちはその身体を「消費」しているといえる。問題となるのは、その身体は舞台上では中学生だということだ。舞台に慣れ一定のファンがついたとしても、年齢が高くなりすぎては学校という設定に無理が生まれてしまい、舞台自体が成り立たなくなってしまう。特に主人公であり座長である越前リョーマ役には顕著である。物語の要であるこの役は身長151cmの中学一年生であり、全体のバランスのためにも身長が大きくなりすぎてはいけない。しかし、キャストたちはハイティーンを含むためまだまだ肉体的成長の可能性があり得るし、実際に彼らは公演数に比例して身長が徐々に伸びて大人の雰囲気をまとってくる。こうした理由から、キャストは長くても2年(例外はある)で交代、卒業することになる。本居みどりら童謡歌手は、無垢な子どもが歌うことに価値を見出されてその身体を消費されていた[iv]。そしてその子どもが発する「不思議な力」は肉体的成長を果たすほどに失われてしまうため、本居長世は娘たちを続々とデビューさせ、子ども期を更新し延長していたという[v]が、これはテニミュキャストの卒業という制度とまったく同じだと解釈できる。大人になるにつれて、演技力でも策略でもない熱さ、中学生を演じるフレッシュさ、部活動のように全力で物事に取り組むエネルギーはおそらく失われてしまう。これらを「不思議な力」と捉えるとするならば、この力を延長し繰り返し続けていくためにキャストは卒業し、新たなキャストが生まれるのだ。その意味でも、若い彼らの身体は消費されている、と言える。

 

6.まとめ

 観客たちは、誰もが通った(もしくは通りたかった)であろう青春を、未熟だけれどがむしゃらに努力し成長していく彼らに投影し、ともに体感している。それだけでなく、まだまだ発展途上の少年たちの未熟だからこその一生懸命さを無意識のうちに尊いものとし、自分たちが育て上げているという感情を彼らに対して抱いているのだ。「未熟さ」という観点を抜きにしてはこのコンテンツの人気の理由を語ることはできないだろう。

 

 

[i] 真山緑、稲葉ほたて「2次元と3次元の狭間にあるもの−−『テニミュ』が生み出したリアリティ」PLANETS 2015年10月30日更新(最終閲覧日:2016年1月25日)

http://wakusei2nd.com/articles/2640

[ii]島貫泰介「2.5次元ミュージカルが世界で勝負できる理由とは?松田誠が語る」CINRA.NET 2015年7月17日更新(最終閲覧日:2016年1月25日)

http://www.cinra.net/interview/201507-littlehero?page=2

[iii] 東谷護編『ポピュラー音楽から問う−日本文化再考』(2014)せりか書房 p161

[iv] 周東美材『童謡の近代−メディアの変容と子供文化』(2015)岩波書店 p138

[v] 同上 p141-142

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今度はミュージカルの授業があれば、その機会に!